G-FREAK FACTORY 茂木洋晃 地元群馬への想い


群馬を代表するローカルバンドとして、1997年結成以降、「山人音楽祭」をはじめ、多くのフェスやライヴにて “ 仕掛け続けるバンド G-FREAK FACTORY ” 。
大事な地元を守りながら戦い抜いてきた彼らが、同じ時間を生きるすべての世代に問いかける普遍的な言葉はローカルに限らず、様々な地域に暮らす人々の心を掴む。
バンドのボーカルとして、全国のステージに立ち続ける茂木洋晃(以下:茂木)は、今尚、地元・群馬県安中市にて生活を送っている。
GOOR*では茂木の故郷(群馬県安中市)にて、彼への単独インタビューを行い、with コロナの時代に生きる彼と、彼の活動について語ってもらった。

取材:橋本 撮影:吉田 文:木戸口

(黒字:茂木洋晃、青字:インタビュアー

“with コロナ”の時代ということで、活動への影響等もあると思いますが、茂木さん自身、この時代について思っていることを聞かせていただければと思うのですが。

茂木:良い意味でも悪い意味でも振るいにかけられる時代になってきたなって。続けられなくなるやつも出てくると思うし、ここから先は本当に好きでやってるやつ、地力があるやつしか残らないと思う。厳しいようだけどね。
だけど、考えてみたら20年やってきて(バンドを)始めた頃に戻ったみたいで、あんまり俺は落ちてない。俺ら世代って踏み潰されて生きてきた世代。みんなびっくりするくらい晴れやかで、「おおきたぞ!どうこの逆境を跳ね返そうか」って。誰も凹んでないね。みんなハート強いから、これで潰れるくらいならとっくに辞めてるよ。
ただ、ジレンマはあるよね。今までの自分たちの相撲の取り方はできない。フルスイングのライヴができない。どうにやったら自分たちのオーガナイズができるのか。フルスイングしたライヴを映像に残しても良いことないなって。ただの生存確認にしかならないなってさ。

なるほど、それをやってもG-FREAK FACTORYがライブハウスで無観客ライブやったよという事にしかならないと。

茂木:でも、どうしてもやらなければいけない時も来ると思う。今は、そこじゃないところを育てればいいや。根性試しみたいなことをやってもいいやって思う。それがアコースティック。アコースティックなんて、ごまかしは効かないし、怖いし、バックバンドが助けてくれる訳でもないし。

では、“with コロナ”の時代としてやりづらくなってることもあるけれど、気持ち的には問題は無いということでしょうか。

(気持ち的には)ないね!バンドにかける時間も減ったかと言われればそんな事もなくて、逆にメンタルとか暮らしとか自分のマインドのバランスをどうにとるかって考えてさ。今しかできない事、今こそ地元を見てずっとやりたかったことをやるべきだと思った。
バンドでずっと忙しくしているんじゃなくて。心から地元を愛す時間にした。そしたら心の底から地元を愛せたよ。
今までは、ちょっと無理して言ってたところもあったし、何クソ根性とかコンプレックスとか、そいうもので「群馬好きだよ、群馬だぜ」って言って、どっか自分に言い聞かせているところがあった。そう言おうとしている自分がいた。
でも、コロナで東京じゃなきゃできない理由、ずっといなければいけない意味がなくなってきた。だったら俺らの勝ちだなって。
今まで好きだって言い続けてきた。地場持ってるバンドのさ。

「地元」や「群馬」というキーワードが出ましたが、デビュー22年、茂木さんから見た地元・群馬をどのように感じているのでしょうか?
つまらなく感じたりはするんですか?

つまらないところといえば、群馬には役者ってすげえいると思う。やめていく奴はもうとっくに辞めてると思う。だから、今いるやつってのはすごいと思う。やり続けていて、理由があって、それってめちゃくちゃかっこいい。バンドにせよ、店にせよ。なんかそういう人がいるのに、それを群馬県の人たち自身が知らないってのは悲しいと思う。
群馬県のいいものが群馬県内に届いていないとこがさ。

俺らは群馬県が一番難しい。此処って線じゃん。でも県外って点なんだよ。その日だけいい顔すればいい。だけど、群馬には暮らしがある。もっと言えば群馬でこけたら、此処に住めなくなる。
役者はいる。ようやっと揃ったなって思った。それってやっぱ人が良い。演者もスタッフも。それってどう頑張っても手に入らないところだったりするからさ。地元の仲間ができて、今までやってきた事を正解にしなければいけない。
もしかしたら、俺なんか東京に出てればもっと早く売れたかもしれない、現場を去ったかもしれない。売れなかったかもしれない。消えていたかもしれない。わからない。でも残念ながら、今は此処(群馬)にいる。これ事実。だったらこれを正解にしなかったら俺の負け。しなければいけない。
すべて自分が足を踏み入れた事ところ、成功にしていく。それが俺なんかはモティベーションになった。

群馬の環境がモティベーションにつながっているとのことですね。
先ほどのお話で『群馬県のいいものが群馬県内に届いていない。』とのことですが、GOOR*としてもこれから、群馬の情報サイトとして県内のニュースを発信していきたいと考えています。その点についてはどうでしょうか?

いろんな人がピックアップされてるとそれに憧れる。何かを始めるきっかけになる。フェスとかイベントとかをやっても「知らなかった。」、「知ってたら行きたかった。」が多すぎる。
これってネット社会の成れの果てなんだよ。ステージに立ったり、何かを仕掛ける側の俺たちからすればその声が一番悲しいよ。それは俺たちの責任なんだと思う。届けられなかったんだと。与えられなかったら届かない、自分からは探してこない。が普通になっちゃっている。

仕掛ける側の難しさですね。今、私たちも情報サイト(GOOR*)を立ち上げるにあたって、群馬で何かを始めることの難しさに直面しています。

堤防崩したら一発だよ。ジーフリークもそうだった。フェスとか音楽もそうで、誰も知らなかった。その壁が崩された時に広がっていくところもある。

茂木洋晃(G-FREAK FACTORY)/ 撮影:吉田

リスタートっていうところから、今後描く群馬、茂木さんが見たアーティスト達・文化が、どうなっていたら面白いと思いますか?

結局、安中もそうだけど頼るものが何も無いから模索していく、切り開いていくしかない。俺も安中でヘルメットプロジェクトってのをやってる。あれは子ども達に毎日のようにヘルメットを配って回るんだけれど。

ヘルメットプロジェクトは地元(群馬県安中市)の子ども達に向けてどのような意図があるのでしょうか?

そう。向けてなんだけど。これからもっと厳しい時代になるに決まっているじゃん。経済的にも色々と。決して「これから楽になるぞ!」とは言えない。
無垢な子ども達に何かメッセージを与えたい。本当はもっと利便性を選んだら、もっと小物の防災頭巾とか、もっと子どもが守られるものってあるんだけど、俺はヘルメットを選んだのさ。そのフォルム。
「何でおじさんはヘルメットなんだろう。しかも聞いたら、自分たちのTシャツを売ったお金を全部ヘルメットに換えて、届けにきて。教育現場っていう時間の取れないところに来たんだろう。今は何だかわからない。」
でも、大人になった時にわかる日が必ず来る。子ども達って、純粋だし、無垢だし、すげえ綺麗だし、それに対して俺も綺麗なもので届ける。これを俺が儲ける為でやってたら誰もついてこないでしょ。
おじさん達がしがない残念な街のTシャツを着るわけだよ。それが何とか一周回ってかっこいいにならねえかなって、それが例えば高崎とか榛名とか派生したらすげえ良いなって。ヘルメットじゃなくても良い。何だって良い。何か若い子達に伝えるもの。子ども達の前で「暗い時代・厳しい時代が来るぞ」なんて言葉には絶対したくないし、できないし、そしたら本当にそうなっちまう。だけど、ヘルメット届けたら「なんとなく察しろよ」って。
それをひたすら、俺は自己満足の世界でやってる。

地元の子ども達に何かしなければいけない!という使命感が生まれたきっかけはあったのでしょうか?

まず、その未来だよね。群馬がどうなって欲しいは、欲しいではなくて俺らにかかってる。だから、俺は0を1にして、1を10にする奴が未来にいたら良いと思う。それはどの文化でも一緒で続けようと思ってる。

自分たちが何かを掴むのではなく、掴んできたものを他人に与えていこうというような気持ちが出てきたのでしょうか?

そう。少し献身的になってきた。それは何でかっていうと、やっぱり限界があるよね。一人の限界ってさ、1じゃん。でも、二人になると3になったり、三人になると5ぐらいになったり。それに気付いたんだよね。
全部共有していけば、そいつらが俺の歳になった時には何が仕上がるんだろう。自分が届かないところにも絶対届くし、ある意味それはそいつの力でもあり、俺の力でもある。音楽で伝え続けたら何か変わるかも。
今もまだ続けている。諦めてねえよ。

見せ続けていくことで何かを感じ取ってくれるだろうと思うわけですね。

うん、俺もまだ挑戦するし。

茂木さんはなぜそこまで挑戦し続けるのでしょうか?そこに至る根源だったりはありますか?

ローカルですごく局地的にやってたことが、死ぬ寸前に一番足跡残したのはこれかもしれない!って思うかもしれない。走馬灯の中で思い出すようなことをやってるかもしれない。
何かをやるなら、そのくらい腰を据えてやるのも良いかもしれない。もう、バンドをやめても良いやくらいの何かを。
ヘルメットプロジェクトとかさ、Tシャツ100枚売れて、ヘルメット100個地味に持っていくなら、こんなに忙しくない。いかに時間を有効活用して、人が怒涛のように頑張っていることが、「すごい頑張っているね」って。「ほぼ、毎日やってるね」って。これをぬるっとやっていたら、そうにはならない。だからこの一年はそうなれば良いなって。

茂木さんはこれから先をとても明るく捉えているんですね。なぜ、茂木さんはそこまで地元を愛せるのでしょうか?

人って敵がいないとダメじゃん。成長しないんだよ。
高崎市と安中市を比べるとしよう。「大きい街が良いと思う。」とかあるだろうけど。頑張れば並べるのかなって思えるくらいの敵が良いかなって思うんだよ。
例えばさ、サッカーでも、野球でもいいや。
ドラゴンズの選手と読売ジャインツの選手がジャパンっていうユニフォーム着たら味方じゃんか。いつもは敵同士でも。にっくきあいつがこんなに頼もしいのかって思える。ファンもそうじゃん。
それが例えば、安中と高崎で手を組んで、伊勢崎市に勝とうぜってなったとして。いやいや、伊勢崎じゃないよって、伊勢崎も巻き込んで。前橋市に勝とうよ。とかそうこうしているうちに、群馬になって。次は栃木とかとやりあえるオール群馬が出来上がる。次は栃木と仲良くなって茨城とかさ。東京とか、関東、日本、アジアとかって。なんか究極のラブ&ピースなんだ。

なるほど。ベースとして地元を大事にしていこうと思っているわけですね。

コロナでリモートワークとかさ。東京で2万世帯以上が離れた。要するに日本の暮らしがそういうものに寄ってしまった。今、俺のまち過疎化で本当に苦しいから全員来いって思う。高い家賃でヒイヒイ言いながら、満員電車に揺られて、狭いとこでやっているんだったら、空き家を俺が探してやるよ、全然良いって。集まって面白いコミューン作ろうって。夜な夜なみんなで騒げるし、すぐ集まって飲めるし。星は綺麗だし、川はすぐ近くにあるし、目も開けられるくらい綺麗だよ。
オンラインってものすごく窮屈で、指紋認証や顔認証で全部情報が吸い上げられてる。アンケートも要らないぜ。だって、俺たちが書いたこと全部統計とられてる。じゃあ、直接話すとかオフラインってすごく貴重になってくる。
オンラインはオンラインで、もっと走ってくれれば良い。それもカウンターでさ。秘密の話ってのは、オフラインでしかやっちゃいけないんだよ。わざわざ、対面して、膝付き合わして、熱量込めて肌感感じながら喋るわけじゃん。
だったら、その場所はリッチな方が良い。川があって星があってさ。唯一、そこが東京に勝つところかなって。

確かに自然豊かなところはなかなかないですからね。

最高だぞ。川なんてめっちゃ綺麗だし、鹿は必ず見れるし(笑)

茂木洋晃(G-FREAK FACTORY)/ 撮影:吉田

今の茂木さんを見ていると、自分の生き方や等身大の価値観をとても大切にされているなと感じます。

そう。絶対そっちの方が良いって。何かをどうにかしようみたいになってくると“ 方法 ”。具体的な方法っていっぱいあるんだよ。多分。
例えば、売れる曲を書きゃ良いし、今の時代にあった。髪なんか切れば良い、髭も剃った方が良いし、こういう奴らと仲良くすればメディアに出て、とかって。
でも、それって何にも残んねえんだよな。何にも残んねえ。だし、俺じゃなくて良いなって。方法に特化したら本質がブレていく。でも、方法も必要。ブレさせねえ方法は必要だと思う。それはセンス。めちゃくちゃセンス。
一番厄介なのは本質を曲げてでも方法に特化した時、成果を挙げられれば良いけど、ギャンブル。当たらなかった時はもうダメ。もう取り返しがつかない。
だけど等身大はこうさ、なんかこうフッと、、、なんだろう(笑)
等身大で何かを手に入れたとか、そういうのに憧れちゃう。

それは昔からですか。若い頃からそう思っていたのでしょうか?

そうだよ。俺はずっとそう。

よく今の若者たちは夢がないというようなことが世間で言われていますが、それについてはどうでしょうか?

俺たちもなかったよ(笑)
俺思うんだけど、「今のつらい世の中」とか言うけど、もうとっくの昔から「つらい世の中」は始まってたよ。結局コロナで気付いただけだったりさ。

ではもし、茂木さんが声をかけるとすればどうでしょうか?

「俺らの責任だよ。お前らの責任じゃないよ」って。なんか例えばさ、俺らの夢は、夢を持つことが夢だったの。正直夢がわからない奴が当たり前だったの。だってさ、そんなのは教えないし、与えないから。こういう良いことあるから、こういう風に生きていくのはどうだってアドバイスはされないわけだよね。そんなん夢なんて持てるわけない。漠然としてる。何だろう。じゃあ、どうにやったら夢をつかめるだろうとか、いざ掴んでみたらそんなにだったとかさ。
俺らより後のやつは夢見てくれるかな。とかって思う。
だから、音楽の現場から若い奴がいなくなっているとかは悲しいよな。夢見させられてねえんだ、それくらいしか残せてねえんだってさ。
だって、BOØWY の布袋がいた頃なんて凄かったぜ。みんな白黒のギター買ってさ。そういうところを切り開きたいなって思う。

GOOR*は、2021年 10 月サイトオープンとなります。それについて最後に一言頂きたいです。

コロナはチャンス。こんなチャンスはもう二度とないってくらい。群馬にとってもチャンス。こんなことってあんまり無いぜ。
あと、何かはじめるのもチャンス。ピンチが目立って、ピンチにやられそうになってるけど、やっぱ面白えって思わないとな。

ありがとうございます!

G-FREAK FACTORY / Fire (official video)

紹介楽曲『Fire / G-FREAK FACTORY』収録アルバム「VINTAGE」

【商品詳細】
タイトル:VINTAGE
商品形態:アルバム
初回限定盤(CD+DVD):¥3,100(税抜)+税 / BDSS-0040
通常盤(CD):¥2,500(税抜)+税 / BDSS-0041
発売元:BADASS

取材協力店舗紹介

店名:OLDIES BAR MERICAN (オールディーズ バー メリケン)
問い合わせ:027-386-8617
所在地:群馬県安中市安中1-24-12
営業時間:19:00~24:00 
※営業日は金・土曜日と祝祭日の前日となっております。
公式サイト:https-b.com/merican/
現代と古き良き時代のアメリカの懐かしさが漂う空間、オールディーズバーメリケン。
おしゃれな雰囲気の店内には、豊富なドリンク・フードメニュー、様々なタイプの座席が用意されており、お一人様からパーティーのご利用まで多くのシーンに最適です。
『大人の遊び場』という言葉がぴったりな同店では、多くのイベントが開催されているとのこと。
G-FREAK FACTORY(ジーフリークファクトリー)
ボーカルの茂木洋晃とギターの原田季征が中心となり、1997年に群馬県にて結成。
長期間リリースがない時期を経て、2012年9月にシングル「EVEN」を発表以降、精力的にリリースを重ねる。
地元群馬にて、2012年より主催イベント「GUNMA ROCK FESTIVAL」を企画・運営。
同イベントは2016年から「山人音楽祭」と名前を換えて開催。
2020年7月に約3年4カ月ぶりとなるニューアルバム「VINTAGE」をリリース。
公式サイト:https://g-freakfactory.com/

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